10年前から通っているカレーショップのカウンターには、ずらりとかっこいい椅子が並んでいます。

一脚ずつ、どれも違う椅子で、「今日はどのカレーを食べようかな?」もだけど、「今日はどれに座ろうかな?」というのも、楽しみの一つになっているのです。

先日、知人から名作といわれている椅子があることを教えてもらいました。
長年愛される椅子にはちゃんと理由があるらしい、とも。

寝ているときと立っているとき以外は「座っている時間」と考えると、一日の大半をお世話になっているというのに、私は椅子のことを何も知らなかったなぁ…

というわけで、椅子のことを調べてみようと思い立ちました。

調べる人:松田祥子

椅子のこと調べてみよう 5

2019.03.29

本をパラパラとめくっていたとき、「アノニマスデザイン」という言葉を見つけました。

アノニマス…?
デザインを勉強した人は理解されていると思うのですが、私にはさっぱり…。

「アノニマス」は、英語で「Anonymus=無名の・匿名の」という意味。
アノニマスデザインは「無名性のデザイン」と定義でき、

【1】デザイナーが分からないもの、
【2】デザイナーによってデザインされたものでありながらもその作者が気にならないほどに身近になった存在になったもの、に分けられるとのこと。

その【2】で紹介されていたのが、今回の「スツール60」(1933年)です。
円形の座面に3本の足がついた椅子の定番中の定番。なんか見覚えあるような…?
それは、あまりにも当たり前にそこにあったのでした。(そう、それがアノニマスデザイン!)

 

 

「スツール60」

 

 

 

懐かしい食卓の風景

 

本に紹介されていた「スツール60」を見たとき、とても懐かしい感覚がしました。

私の出身は山陰です。漁業のさかんな町(のどぐろが有名)ですが、私が生まれ育ったのは山に囲まれた小さな農村でした。家は大工をしていた明治45年生まれの祖父が建てたもので、昔ながらの純和風。縁側あり、障子あり、襖(ふすま)を取れば大広間になる日本家屋。昔は玄関を入ると、土間になっていて、台所も食卓も土間続きだったと聞いています。農作業の合間に食事を作ったり、食べたりするにはその方が効率的だったのでしょう。

大阪万博の前年に生まれた私。2つ違いの弟、そのまた2つ下の弟。
3人が小学校に上がる頃、子どもが勉強する部屋を作らねば…という目的で、家の改築が行われました。
もちろん、手掛けたのは祖父。玄関から台所までの土間に床を張って、食堂には楕円形の食卓が置かれました。

その食卓の周りにずらりと並んでいたのが、「スツール60」の4本脚バージョン(「スツールE60」)のコピー品でした。そう、決して本物ではなく、それっぽい商品。駅前の家具屋で祖父か父が購入したものだと思います。

当時は7人家族。母は朝早く起きて、大きなガス炊飯器で一日分のご飯、1升7合のお米を炊いていました。湯気の立ったご飯をお茶碗によそい、みそ汁とおかずが並び、朝食の時間です。祖母と祖父の間に上の弟、祖父と父の間に下の弟、父と母の間に私。座る順番も決まっていました。

小学校が遠かったので、家を出るのは7時15分。顔を洗って、ご飯を食べて、歯磨きをして、大急ぎで家を出発。ご飯の時間が終わると、椅子は食卓の下にしまってあるか、積み重ねて部屋の隅に収まっていました。掃除機をかけるとき、積み重ねてあった方が便利だったからです。

 

 

森の国の建築家、アアルト

 

さて、スツール60の話です。
今回、椅子の写真がない…と慌てていたのですが、とても身近なところ、このサイトを運営しているieto.me編集局からお借りすることができました。

生みの親は、フィンランドの建築家でありデザイナーのアルヴァ・アアルト。
フィンランドでは英雄的存在で、50マイカ紙幣(ユーロ通貨導入前まで使用)にアアルトの横顔が描かれていたそうです。建築家として数多くの設計を手掛け、フィンランドのみならず20世紀を代表する建築家でもあります。

フィンランドは森の国。国土の70%が松、もみ、白樺の3種類の森林で覆われています。
17世紀に造船業や製鉄業の発達とともに木をタールや燃料として輸出することが盛んになってきましたが、銅以外の鉱物資源にも乏しいフィンランドでは、さらなる木材の活用が急務となっていました。

スツール60が作られたのは1933年。1930年代は金属製の家具の生産が始まった時代です。
アアルト自身、スチール製家具をデザインした時代もありましたが、「金属に対抗する家具」を目標に、フィンランドに自生する木材でモダンデザインを表現したいと考えるようになります。

 

 

伝統の技法を椅子に応用

 

スツール60は、まっすぐな脚が座面に近いところでカーブを描いて接合しています。
このカーブの部分が、アアルトが開発した「L-leg(エル・レッグ)」と呼ばれる特殊技法。
シンプルな木製家具ながらも、高い耐久性を保っている理由です。

このカーブは、「椅子のこと調べてみよう 2」で紹介したトーネットの曲木椅子のように、木材を蒸して曲げているのではありません。アアルトが使うバーチ材(白樺)をトーネット式で曲げると、ねじれが出てしまう恐れがありました。

また、「椅子のこと調べてみよう 3」で紹介したセブンチェアのように、薄い板を張り合わせて曲げた成形合板を使っているのでもありません。脚全体を合板にしてしまうと、接着剤の重量が増して重くなるのと、原価も上がってしまうのです。

そこで、アアルトはフィンランドの民具などに昔から用いられていた「挽き曲げ」の技法を研究。直線部分は無垢材のまま使用し、曲げる部分だけ木目に沿って等間隔に切れ目を入れ、成型合板の技術を活用するというL-leg技法を開発しました。L-legはアアルトの他の椅子やテーブルにも応用されています。

L-legの脚は座面より外側に張り出しているため、スタッキング(積み重ね)が可能です。そう、空間の中に幅を取らない、片付けに助かる構造が、それまで椅子を使ってこなかった昭和の家では大変重宝したのでした。

 

 

売れる仕組みづくり

 

スツール60のシンプルで無駄のないフォルム、惚れ惚れします。

アアルトはきちんとモノが売れる仕組みも考えました。
L-legの開発に長い時間をかけたアアルトでしたが、座面との組み立てにおいてはあっさりとビスで固定しています。簡易な組み立てにすることで、部品を分けて梱包し開封後組み立てるという「フラットパック」を実現。製造、配送にかかるコストを削減しました。

また、アアルトは妻と友人の4人で1935年に会社を興します。
会社名は「art(芸術)」と「Technology(技術)」の融合を意味する名前、「artek(アルテック)」社。
製造、マーケティング、経営などの各部門に適任者を置き、椅子や家具の販売を行いました。

そうやって世界中に広がったスツール60。
今まで800万脚以上作られている上に、たくさんの数のコピー品や偽物が存在しているそうなので、私のように記憶をたどっていくと、その形に行き着くかもしれません。

 

 

おまけ「古ぼけた腰かけ」

 

頑固で職人気質だった祖父は、手先がとても器用な人でした。

私が小さいときにはすでに存在していた腰かけは、足の悪かった祖母のために作られたものです。実家は昭和から平成初めまで、お風呂を沸かすのに薪を焚いていました。祖母は毎日この腰かけに座ってお風呂を沸かしていました。その後も、農作業の合間に腰かけて休んだり、庭で日向ぼっこをしていた祖母の姿が思い出されます。

古ぼけた姿ですが、今でも現役選手!空き家になった庭の片隅に置いてあり、草刈りの合間に座ったり、道具を乾かすときに台に使ったり、いい働きをしてくれるのでした。

寒かった冬も終わり、田舎は芽吹きの季節です。
(写真は今年3月初旬に実家に帰ったときのもの)

 

【参考文献】

島崎信(1995)『椅子の物語 名作を考える』日本放送出版協会
西川栄明(2015)『増補改訂 名作椅子の由来図典』誠文堂新光社
萩原健太郎(2017)『ストーリーのある50の名作椅子案内』スペースシャワーネットワーク