古民家再生 ― 倉敷てまり会工房+住宅(1)
2021.07.12
2021年初旬、倉敷市の民藝品「倉敷てまり」を制作する工房が完成しました。
江戸期に建てられた古民家の母屋を改修したもので、倉敷てまり会代表の楠戸久子さんの住居でもあります。
古民家再生を決意したのは、久子さんの活動を近くで見続けてきた孫の金原幸子さん。
時が経った民家を現在の暮らしに合わせて改修する古民家再生は、古い建物を壊し、新たに建て直すスクラップアンドビルドより労力のかかる方法かもしれません。
けれど、そこにしかない価値があります。
新しくなった工房兼住居を訪ね、倉敷てまり会の楠戸久子さんと金原幸子さん、改修を手掛けた平野建築設計室の平野 毅さんに、古民家再生に決めた理由、家づくりの中心に据えられていたもの、完成するまでの出来事などお聞きし、古民家での家づくりに大切なものを探していこうと思います。
■持ち帰った肥後まりを手本に
訪れたのは若葉色の緑がまぶしい4月下旬。門をくぐると、色鮮やかな暖簾に目が留まります。
庭には草花が咲き誇り、耳を澄ますとウグイスのさえずりが響く静かなところです。
「倉敷てまり」は、籾殻を詰めた芯に手染めの木綿糸を巻いて作られる素朴なまり。
倉敷民藝館の初代館長・外村(とのむら)吉之介氏が地元の主婦らに声掛けし、約40年前に誕生したといいます。
外村館長の「健康的で無駄がなく、用の美があるか」という教えを守りながら制作を続けてきました。
楠戸久子さん:当時、倉敷公民館で民藝の精神や手仕事の大切さを学ぶ民藝講座が開かれていたんです。昭和57年(1982)に、研修を兼ねて熊本へ旅行に行ったんですね。そのとき、熊本国際民藝館に飾ってあった「肥後まり」を見て、みんなが「きれい、きれい」と言っていたら、外村先生が「あんたたちも作らんか?」と言われて。それが始まりでしたね。
熊本は遠方だったから習いに行けなくて、持ち帰った肥後まりを手本にしながら、自分たちでいろいろ試して作っていきました。最初は古いストッキングを刻んで中の芯にしたんです。そしたら、外村先生が「こんな重いのはどうにもならん」と言われてね(笑)。
―中には何が入っているんですか?
久子さん:籾殻が入っています。籾殻をビニール袋に入れて針でつついて中の空気を抜き、ティッシュをかけて硬く巻いて芯を作ります。その上に木綿糸をまいて針を刺し、柄を刺繍していきます。とても力のいる作業です。巻き方が悪かったら、ひっかかったときに中の地が出てくるんですよ。
■手仕事のぬくもりを次世代へ
倉敷てまりが世に出たのは平成2年(1990)のこと。当時のメンバーは「倉敷てまり会」を結成。
少しずつメンバーが入れ替わり、8~10人で月に1度集まって共同で制作を行ってきました。
現在、当初のメンバーは2人。高齢化が進んでいた会に孫の幸子さんが参加したそうです。
久子さん:倉敷てまりの特徴は、パキっとした健康的な色合い。外村先生は元気そうな色合いを好まれていて、色の合わせ方ではよく注意を受けました。
―見ているとほっこり温かい気持ちになります。同じ柄はできるんですか?
金原幸子さん:球体を正確に等分していって、そのガイドを頼りにかがっていくと同じ模様のものができるんです。通常のてまりは円周26㎝ですが、一回り小さい20㎝サイズのものもあります。観賞用のほかにもストラップやイヤリングなど小さいサイズのものもあります。
―糸も染めているんですか?
久子さん:できるだけ自分たちで染めます。てまりの模様をかがる作業はそれぞれ家で行いますが、糸染めや染め上げた糸を束ねる糸繰り、芯になる籾殻を計ったり分けたりといった作業は、毎月ここに集まり行ってきました。
でも、私も年を重ねて糸の締め付けができなくなったり、模様が思うとおりに出せなくなったり。この子は小さい頃からよく遊びに来ていてね。小学校の低学年だったかな、てまりを作ったんです。
―幸子さんも小さい頃からものづくりが好きだったんですね。
幸子さん:おばあちゃんのやっていることがやりたくて、見よう見まねで作っていました。
久子さん:それがね、まことにきれいな仕上がりで、今でも飾っていますよ。
幸子さん:おばあちゃんは何でも挑戦したい人だったんです。誰かが何かを作っていたら私もやってみたい、と。この服はおばあちゃんがミシンで作った服なんですよ。
久子さん:昔はミシン一筋(笑)、自分の服も子どもの服も作っていました。これは染色家の柚木沙弥郎さんの生地で縫ったワンピース。実は1回アンサンブルにして着ていたものを縫い直しているんです。自分で縫ったものは、ミシン目をほどいて縫い直しができるんですよ。
―素敵です!
久子さん:今はミシンをしていませんが、倉敷てまりのような手仕事があることはありがたいことです。疲れた時やむしゃくしゃした時でも、集中してやっていると何もかも忘れられます。見ていても綺麗だし、楽しいしね。
幸子さん:一緒に暮らし始めて、おばあちゃんとよく似ていると思うことが多いです。なんでもやってみたくなるところ、似ているなぁと(笑)。私も刺繍をしたり、編み物をしたり、いろいろやってきました。
久子さん:すぐ腹を立てるところも(笑)。
幸子さん:夫からは「そっくり」と言われます。似た者同士で喧嘩することもありますが、てまりの話をし始めると、いつの間にか仲直り。
久子さん:私の世代とこの子の世代と、普通はあまり話すことはないと思うんですが、てまりのおかげでね、刺激をもらっています。
幸子さん:5、6年前くらいかな、おばあちゃんから倉敷てまりの後継者がいないという話は聞いていたんです。けど、ずっと近くで見てきたので興味半分で入ってはいけないという思いもあって。だから、やるからには覚悟を決めてやらなくちゃ、と思いました。
■蝉を捕って遊んだ懐かしい場所。おばあちゃんの家を残したい
祖母の久子さんが仲間たちと続けてきた倉敷てまりの活動を継ぐことを決めた幸子さん。
背中を押してくれたご主人の存在も大きかったといいます。
そして、ご主人の転勤をきっかけに一人暮らしをしていた久子さん宅へ同居することに。
―工房兼住居の改修に至ったプロセスを教えてください。
幸子さん:今まで、倉敷てまり会はおばあちゃんの家に集まって活動を続けてきました。気心知れた仲間でこぢんまりと。でも、残すためにこれからはもっと作り手を増やしていきたい。SNSで募集をかけたりして、気軽に人を呼びながら活動を続けたいという希望がありました。このままおばあちゃんの生活スペースで活動を続けていくには限界があるかなと思ったんです。
あと、この家のこと。おばあちゃんは一人暮らしで、継ぐ人がいなければ、この家は残らないかもしれない。私はおばあちゃんの娘側の孫で、結婚して家を出ているし、主人も転勤族。まさか自分がこの倉敷に住むとは思っていませんでした。でも、「この家をつぶしてしまうのはあまりに寂しい。倉敷てまり会も活動場所を失ってしまうし」って、主人と相談して改修を考えることになったんです。
久子さん:家のことを聞いたときは、とてもありがたかったです。でも、とても古いので直すのは大変だろうと思っていました。
―この家はどれくらい前に建てられたんでしょうか?
平野さん:詳しい築年数は分かりませんが、家の造りからして江戸後期や中期に建てられたもの。少なくとも150年は経っていますね。親戚の方はそれよりも古いだろうと言っておられました。楠戸家の本家筋にあたり、過去には庄屋、明治期には村長を務めた記録も残っているそうです。
久子さん:私がお嫁にきたとき、台所は土間でとにかく広かったんです。家の裏に味噌蔵とか米蔵があって、屋根は茅葺きでしたよ。
―そんなに蔵があるんですね。
平野さん:典型的な岡山の庄屋さんの造りです。
久子さん:今までに私が覚えているだけでも、大きな補修が2回。台所を床に直してもらったり、蔵を倒したり。茅葺き屋根をとったときにセメント瓦にしていたんですが、これも30年くらいしたら繕わないといけないでしょ。それがだんだんできなくなって、ブリキで囲んだりして、屋根は本当に苦労したんです。
平野さん:雨漏りはしていませんでしたが、屋根の傷みは激しかったですね。今回、葺き替え工事をして、いぶし瓦になりました。
―倉敷市まちづくり基金で、市も応援してくれたと聞きました。
久子さん:長年の活動を認めてもらったようで嬉しかったです。
幸子さん:私にとって、おばあちゃんの家は庭で蝉を捕ったりして遊んだ懐かしい場所。その家が工房機能も含めて残せるんだったら、そんなにいいことはないなという気持ちでした。
設計:平野建築設計室
施工:有限会社 住まいの伏見
〈つづく〉
Interview 古民家再生 ― 倉敷てまり会工房+住宅(2)
Interview 古民家再生 ― 倉敷てまり会工房+住宅(3)
※ 2021年秋には、工房にて「倉敷てまり会個展」を開催予定です。個展の詳細は決まり次第「倉敷てまりインスタグラム」よりお知らせします。
■倉敷てまりインスタグラム
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2021年4月取材 文:松田祥子