まちの由来さんぽ 第3回 『一宮をぶら~り』
2017.4.27
毎回、岡山のあちこちへ出かけ、町の由来を探りながら気ままに散歩。そこで出会った気になるヒト、モノ、コトにじっくり目を向けてみると…。町って、歩けば歩くほど、知れば知るほどおもしろい!
文・写真 小野泰子
岡山市一宮地区といえば、吉備津彦神社のお膝元。その背後に「吉備の中山」がなだらかに横たわる、とても気持ちのよいエリアだ。天気がいま一つで、がしがし歩き回るという計画どおりにはいかなかったものの、結果オーライのぶらり旅となりました。
桃太郎列車に揺られ、いざ一宮へ
起きぬけに見上げた空は、ぶ厚い雲に覆われていた。降水確率もなかなかに高いではないか。さりとて、この日は吉備津彦神社を参拝し、吉備の中山へ登ると、前々から決めていた。晴れ女の意地を見せつけられないものかという思いとは裏腹に雨対策をしっかりしつつ、JR岡山駅へ向かう。
一宮までのアクセスは吉備線を利用したい。2016年に桃太郎線の愛称がついてからは初めての乗車だ。この沿線は、桃太郎のモデルという吉備津彦命の伝説や史跡が残っていることはよく知られる。愛称は一般公募で選ばれたそうだ。
岡山駅のホームでは、にぎやかにペイントされた車体がお待ちかねだった。出陣姿の桃太郎一行も、金棒を手にした鬼も朗らかな表情で、これには撮り鉄ならずとも心が浮き立つ。天気の不安もいっとき吹き飛ばしてくれるというものだ。
さて、乗車しようにも、扉が閉まっている。そうそう、この路線は乗降時にボタンを押さないとドアが開かないんだっけ。旧国鉄時代に造られたキハ40系という気動車の車内は、昭和時代に戻ったような懐かしい雰囲気だ。整理券の発券機や運賃箱、電光の運賃表示器がある。今どきの電車のように運転席が完全に閉め切られていないので、運転手との距離がとっても近く感じる。
桃太郎線は岡山市と総社市を結ぶ単線で、のどかな田園風景が車窓を流れていく。ガタゴトと列車に揺られながら、窓の外を眺めたり、普段見慣れない車内をキョロキョロしていると、わずか10分ほどで、無人駅の備前一宮駅に到着する。単線、非電化、ワンマン運転、無人駅。ローカル線ならではの要素が散りばめられた桃太郎線は、想像以上に楽しいものだった。
心落ち着く場所、吉備津彦神社
備前一宮駅からほどなくして、大きな石の鳥居と、左右にどどんと鎮座する備前焼の狛犬が見えてくる。ここ吉備津彦神社は、大吉備津彦命を御祭神とし、平安時代にはすでに備前の国でもっとも社格が高い「一宮」として崇められていた。由緒ある社の門前町として発展したのが一宮地区で、地名もここに由来する。
鳥居から、両側に松が植えられた参道が延び、随神門へと招き入れられる。と、その手前の神池で足が止まる。水面が揺れたのだ。おやっ、亀がいるではないか。水から顔を出したり、ひっこめたり。愛嬌があるようすを、しばらく腰をかがめて見つめていた。そういえば子どものころ、近所の寺に亀のすむ池があり、今と同じように飽きもせずにずっと見ていたっけ。年齢を重ねても、こういった性質は変わらないのかもしれない。
亀に別れを告げ、手水舎で清めて石段を上れば、目の前にりっぱな拝殿が近づいてくる。拝殿の奥には祭文殿、渡殿、本殿が一直線に建ち並ぶ。訪れるのは数年ぶりだろうか。とりたてて感性が鋭いわけではないが、ここに立つたびに、気持ちよさを感じずにはいられない。すぐ後ろにひかえるのは、古代から山全体が御神体として信仰を集めてきたという吉備の中山。この山とともに醸し出す、得もいわれぬ空気が心を穏やかにするのだろう。
拝殿を回り込むと、存在感あふれる本殿が現れる。1697(元禄10)年に再建されたもので、三間社流造りと呼ばれる、4本の柱が正面に立つ建築様式だ。屋根はゆるやかな曲線を描き、2016年に葺き替えた檜皮(ひわだ)は重厚感たっぷりで、しばし見とれていた。
その後立ち寄った神符授与所では、ずらりと顔をそろえた十二支に出合った。やわらかい顔つきで、猛々しいはずのトラやイノシシたちもが愛らしい。陶のなかにおみくじが入っているので、一体選んでみた。そこには「春風の 吹けばおのずと山かげの 梅も桜も花はさくなり」の句が。いっときの不運にあわてず、静かにときが来るのを待ちなさいとのこと。織り込まれた季節感も、自身の状況もぴったりのように思え、境内に結ばず、持ち帰ることにした。
ぽつぽつと降り始めた雨も、このころにはすでに本降りになり、吉備の中山に登るには不向きな天候だった。あわてずに次の機会を待てばよいではないか。おみくじもそういっているのだから。
2017年4月取材